歴史・縁起

当山は、日蓮宗の最北の本山になります。
開山は、中老僧 一乗阿闍梨日門上人で大仙寺として開かれる。

伊達政宗公、忠宗公、綱宗公、綱村公、吉村公と伊達家庇護のもと、伊達家一門格の寺院となりました。伊達政宗公が出陣する際に、当山で戦勝を祈願したところ沢山の武勲をあげることが出来たことから、縁起の良い寺として大仙寺だった寺号をから「全勝寺」と改めました。

万治2年2月5日 2代忠宗公 正室 振子姫は、52歳で他界。法名 孝勝院殿秀岸日迅大姉と号し、その法号を以て現在の孝勝寺となる。3代綱宗公は、幕府から突然隠居を命じられ、わずか1才の亀千代丸(綱村公)が、伊達家4代の家督を継ぐことになりました。その事により、お家の騒動(寛文事件10年7ヶ月)が始まりました。

この伊達家の一大事を、乗り越え亀千代丸を伊達家4代公として育て上げるために、母君三澤初子(政岡)は、一寸八分の釈迦如来像を造り朝夕お祈りをし、その熱烈な法華経信仰により伊達騒動の危機を救いました。こうして、命を狙われながらも立派に成長した4代綱村公は、母君のご恩に報いるため、ご母堂の大切にしていた釈尊像を安置する釈迦堂を建立しました。このお堂は、孝勝寺の寺宝であり、仙台市の文化財にも指定されています。

是非、御参拝ください。

五重塔